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松山地方裁判所今治支部 昭和61年(ワ)123号 判決

原告 甲野一郎

右法定代理人親権者父 甲野太郎

右同母 甲野花子

右訴訟代理人弁護士 山中順雅

被告 今治市

右代表者市長 岡島一夫

右訴訟代理人弁護士 土山幸三郎

主文

一  被告は、原告に対し、金四五二万四五三四円及び内金四〇二万四五三四円に対する昭和六一年五月一五日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は五分し、その四を被告の負担とし、その余を原告の負担とする。

四  この判決は、第一項に限り仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告に対し、金五四二万一七一四円及び内金四七一万四五三四円に対する昭和六一年五月一五日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  右1につき仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求を棄却する

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  当事者

原告(昭和四九年三月一九日生)は、昭和六一年五月当時、今治市立立花中学校一年五組の生徒であった者であり、被告は、右中学校を設置した地方公共団体である。

2  事故の発生

(一) 立花中学校一年生の生徒は、学校教育行事の一環としての登山及び団体生活の体験計画に基づき、昭和六一年五月一四日午前八時三〇分ころ、面河班(一年一ないし四組の生徒)、西条班(同五ないし七組の生徒)及び大洲班(同八ないし一〇組の生徒)の三班に分かれて、同校を出発し、その夜は各班ともそれぞれ目的地の少年自然の家に宿泊した。原告は、西条班(生徒数約一二〇名・引率教師曽我部孝敏教頭、菅毅教諭、五組担任松本康夫教諭、六組担任水谷陽子教諭、七組担任徳永伸也教諭及び田中晶子講師の六名)に属しており、同日の夜は他の生徒とともに西条少年自然の家で宿泊した。

(二) 西条班は、翌一五日午前八時ころ、石鎚山登山を行うため五、六、七組の順でバスに乗車して少年自然の家を出発し、西条市西之川下谷で下車し、ロープウェイを経由して石鎚山成就社まで歩いた。成就社で一五分の小休止をとった後の午前九時三〇分ころ、再び歩き始め、一の鎖、二の鎖、三の鎖の順に鎖を使って登り、午後一時ころ、石鎚山山頂に到達した。

(三) 原告は、他の生徒らとともに山頂で弁当を食べたが、当時風が強く、寒くて立っているのが困難な状況であり、霧が深く、視界は五メートルくらいであった。その後、生徒の檜垣慈幸の帽子が風に飛ばされ、崖下に落ちたが、徳永教諭は、そのとき檜垣慈幸に「取るな。」と指示した。その二〇分後、原告が被っていた帽子が強風に吹き飛ばされて約三メートル下の岩の上に落ちた。その場所は、幅約一メートル、長さ約一・五メートルで、段になっており、その下は絶壁であった。原告の友人山内武人は、松本教諭に「甲野の帽子が飛んだ。」と伝えたところ、同教諭は、「危ないからやめろ。」と指示した。その後、原告は、帽子の落ちた位置を確認したが、霧のためその下が絶壁であることに気付かず、松本教諭に「すぐ取れるから。」と申し向けたところ、同教諭は、「気を付けて取れや。」と指示した。そこで、原告は、安心して足下の木を持って崖を下り始めたが、木が抜けて足を滑らせ、少し滑った後、絶壁を転がり落ち、沢(山頂から約三五〇メートルの距離)の手前八〇メートルくらいの所まで転落し、脳挫傷、右頭頂骨陥没骨折等の傷害を負った(以下「本件事故」という。)。

3  責任原因

(一) 国家賠償法一条一項による責任

(1) 公立学校の教員は、学校教育法等の法令によって生徒を保護し、監督する義務があり、この監督義務は、学校における教育活動及びこれと密接不離の関係にある生活関係の範囲にも及ぶ。本件の西条少年自然の家の宿泊及び石槌山登山は、立花中学校における特別教育活動として行われたものであり、これは正規の教育活動に含まれ(因みに学校行事として今治市教育委員会の承認を受けていた。)、これを計画、実施するにあたっては立花中学校の教諭であり引率者であった松本教諭、徳永教諭らは職務上当然に生徒の安全について万全を期すべきであり、危険な状態、箇所を十分に把握し、生徒にもこれを理解させ、これに近づけないようにすべき注意義務があった。この義務は、生徒を一時休憩のため解散し、自由に山の峻険の状況を見学させる場合でも免除されるものではなく、解散に際しては、生徒に単に危険の状態等について注意するのみでなく、生徒の行動について十分に監視し、事故の発生を未然に防止しなければならないものである。原告は、中学一年生で一二歳であったから、未だ心身の発達が未熟で判断能力は低いのであるから、自己の行為によりいかなる結果が生じるかを予見することや、自主的に自己の行為を規制することを期待することは困難であった。したがって、これら生徒を引率する教員は、右のような能力を前提として、生徒の生命身体に危険が発生することが客観的に予測される場合には、それに応じた事前の適切な注意と監督をなし、もし生徒が危険な行為に及んだ場合、これを制止すべき義務があったというべきである。

(2) ところが、松本教諭は、霧の下方が断崖絶壁であることの危険性を原告に理解させ、これに近づかないよう監督することを怠り、未だ判断能力が未熟で、かつ学校行事のため平素とは違って浮ついた気持ちが加わっていた原告に対し、不注意にも崖下に下りることを許可し、あるいは、仮に許可はしなかったとしても、原告が下りるのを制止しなかった。また、徳永教諭は、石鎚山登山四回目という経験者であったのであるから、松本教諭に頂上の状況について説明してその危険性を認識させるとともに、生徒の身体に危害が発生しないよう絶えずその挙動を監視するなどして転落などの事故を未然に防止すべき義務があるのに、原告が下りるのを制止することなく、これを漫然放置した。その結果、本件事故が発生したものである。

(3) 松本教諭及び徳永教諭は、立花中学校に勤務する地方公務員であり、西条班の引率者であったのであるから、被告は、国家賠償法一条一項に基づき、同校の設置者として右引率者の過失により原告が被った損害を賠償すべき義務がある。

(二) 安全配慮義務違反による責任

(1) 生徒が市立中学校に在学する場合の在学関係は、生徒と当該中学校の設置者である市との間の契約関係であると解するのが相当である。したがって、右契約により、生徒は、教育を受ける権利を取得し、市は、生徒に対し、教職員をして所定の課程を授業させる義務を負う。また、市は、在学関係に付随する義務として、生徒に対し、信義則、教育条理、教育基本法一条の精神等に基づき、教育を行う過程において、生命、身体、健康に危害が及ばないよう万全の注意をなし、物的、人的環境を整備し、諸々の危険から生徒を保護すべき義務(安全配慮義務)を負う。したがって、被告は、本件事故当時、原告に対し、当該中学校固有もしくは付随の学校教育活動から生ずる危険から原告の身体の安全を保護すべき義務を負っていた。

(2) ところが、履行補助者として、松本教諭は、原告に対し、霧の下方が断崖絶壁であることの危険性を理解させ、これに近づかないよう監督し、又はこれを制止して原告の安全を保護すべき義務があるのに、これを怠り、また、徳永教諭は、石鎚山登山の経験があったのであるから、松本教諭に頂上の状況について説明してその危険性を認識させ、原告が下りようとするのを制止して原告の安全を保護すべき義務があるのに、これを怠ったものである。さらに、被告は、履行補助者である中学校校長、教頭ら管理者及び現場の直接の指導者の間に、常に教育課程内活動の実態を把握し、適切な指導、助言ができるような連絡体制を敷いておらず、また、同人らは、現実に教育的配慮に基づいて相互に連絡し合い、指導、助言を求め合うということもなく、漫然と危険を包蔵したまま石鎚山登山の運営に携わったために本件事故が発生したものである。

(3) したがって、被告は、安全配慮義務に違反したものであり、原告が被った損害を賠償すべき義務がある。

4  損害額

原告が本件事故により被った損害は、次のとおりである。

(一) 治療関係費 一三七万八八〇五円

(1) 入院治療費 四三万八五七〇円

原告は、昭和六一年五月一五日から同年八月五日まで(八三日間)公立周桑病院に入院して治療を受けた。その治療費(社会保険負担分を除いた本人支払額。後記(2)の各金額も同じ。)は、四三万八五七〇円である。

(2) 通院治療費 六万〇三二五円

ア まなべ病院(昭和六一年五月一五日のみ) 三二八〇円

イ 公立周桑病院(昭和六一年八月から昭和六三年一一月まで三四回通院) 三万五六九〇円

ウ 村瀬歯科医院(昭和六一年八月から昭和六三年八月まで一二回通院) 二万一三五五円

(3) 入院雑費 九万九六〇〇円

原告入院期間(八三日間)中の雑費としては一日当たり一二〇〇円が相当である。

(計算式)1,200円×83=99,600円

(4) 通院交通費 五万八三一〇円

ア まなべ病院 三七五〇円

原告の両親は、本件事故当日、同病院にタクシーで駆けつけたが、その交通費として三七五〇円を要した。

イ 公立周桑病院(昭和六一年八月から昭和六三年一一月まで三四回通院) 四万九七六〇円

通院は原告の父又は母が自家用車で送迎したが、バスを利用すると、昭和六三年八月末まで片道七三〇円(利用回数三二回)、同年九月から片道七六〇円(利用回数二回)が必要である。したがって、同病院通院のための交通費は四万九七六〇円となる。

(計算式)(730円×2×32)+(760円×2×2)=49,760円

ウ 村瀬歯科医院(昭和六一年八月から昭和六三年八月まで一二回通院) 四八〇〇円

右同様バスでの通院には片道二〇〇円必要であり、したがって、同病院通院のための交通費は四八〇〇円となる。

(計算式)200円×2×12=4,800円

(5) 入院中の付添看護費 六三万円

原告は、公立周桑病院に入院した当初から一五、六日間は意識がなく、手足を縛り付けられ、のたうち回る状況であり、昭和六一年六月初めころには意識を回復したが、指南力障害があり、母や祖母が誰であるか分からず、自分の名前さえも分からず、排泄もいつしたか分からない状況であった。原告は、同月一一日脳陥没骨折整復手術を受け、同年七月一〇日まで二四時間態勢で付添看護の必要があったので、原告の母と祖母(乙野春子)の両名が付添い看護し、同月一一日から原告退院までは母又は祖母が一人で付添看護した。これらの一日当たりの付添看護費用は一人につき四五〇〇円が相当である。

したがって、昭和六一年五月一五日から同年七月一〇日まで(五七日間)の付添看護費(二人分)は、五一万三〇〇〇円である

(計算式)4,500円×2×57=513,000円

また、昭和六一年七月一一日から同年八月五日まで(二六日間)の付添看護費(一人分)は、一一万七〇〇〇円である。

(計算式)4,500円×26=117,000円

(6) 通院中の付添看護費 九万二〇〇〇円

原告は、公立周桑病院退院後、同病院に三四回、村瀬歯科医院に一二回、計四六回通院して治療を受けたが、一人で通院できる状態ではなかったので、原告の父または母のいずれか一人が自家用車で送迎し、付き添った。その通院付添費としては、一人一日当たり二〇〇〇円が相当であるから、四六回分は九万二〇〇〇円となる。

(計算式)2,000円×46=92,000円

(二) 慰謝料 四一九万円

(1) 脳に受けた障害の慰謝料(後遺障害を除く。) 三四四万円

原告は、本件事故のため、入院八三日、通院二七か月を余儀なくされたもので、脳波に異常があり、本件事故前に比べて無気力、不活発になり、学校の成績も下がり、てんかん症状がいつ発症するか不明のため、抗てんかん薬の内服を続けており、時々原因不明の高熱を出し、今でも立ち上がった際にふらついたり、転んだりする状況である。したがって、慰謝料(後遺障害を除く。)としては三四四万円が相当である。

(2) 歯に受けた傷害の慰謝料 七五万円

原告は、本件事故により上の前歯二本を失い、その治療のため通院一二回を余儀なくされたものであり、現在義歯を入れているが、その義歯二本を支えるために義歯の左右各二本(計四本)の歯の上に処置を加え、義歯が抜けないようにしている。これは、自動車損害賠償法施行令二条別表(後遺障害別等級表)一四級二号(三歯以上に歯科補綴を加えたもの)に該当するので、その慰謝料としては七五万円が相当である。

(三) 損害の填補 八五万四二七一円

原告は、社会保険から髙額療養費として一三万九六二四円の給付を受け、日本体育・学校健康センターから医療費(雑費を含む。)として三八万四六四七円の給付を、歯の障害見舞金として三三万円の給付をそれぞれ受けたので、前記の損害額合計五五六万八八〇五円からこれらの合計八五万四二七一円を差し引くと、四七一万四五三四円となる。

(四) 弁護士費用の損害 七〇万七一八〇円

原告は、本件訴訟の提起、追行を原告訴訟代理人弁護士に委任したものであるところ、本件事故と相当因果関係がある弁護士費用の損害は、右損害額の一五パーセントである七〇万七一八〇円が相当である。

5  結論

よって、原告は、被告に対し、主位的に国家賠償法一条一項(不法行為責任)に基づき、予備的に安全配慮義務違反(債務不履行責任)に基づき、右損害金五四二万一七一四円及び弁護士費用を除いた内金四七一万四五三四円に対する本件事故当日(不法行為日)から支払済まで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

なお、原告は、脳に受けた傷害の治療を継続中であり、後遺症の診断が不可能であるので、本件訴訟では右後遺症慰謝料及び逸失利益の請求を除外する。

二  請求原因に対する認否と被告の主張

(認否)

1 請求原因1の事実は認める。

2 同2について

(一) (一)の事実は認める。

(二) (二)のうち、バスに乗車したこと、山頂に到着した時刻は否認するが、その余の事実は認める。

(三) (三)のうち、原告が他の生徒らとともに山頂で弁当を食べたこと、生徒の檜垣慈幸の帽子が風に飛ばされ、崖下に落ちたが、徳永教諭は、そのとき「取るな。」と指示したこと、原告が崖を下り、転落して受傷したこと(ただし、傷害の程度は除く。)は認めるが、原告及びその友人山内武人と松本教諭との言葉のやり取りについては否認し、その余の事実は知らない。

3 同3の主張はいずれも争う。

4 同4のうち、原告が本件事故のため公立周桑病院に入院したこと、(一)の(1)、(2)の各治療費の額、原告が社会保険から高額療養費として一三万九六二四円の給付を受け、日本体育・学校健康センターから医療費(雑費を含む。)として三八万四六四七円の給付を、歯の障害見舞金として三三万円の給付をそれぞれ受けたことは認めるが、その余の事実は知らないし、損害額を争う。

(主張)

1 本件事故の経緯は次のとおりである。

(一) 昭和六一年五月一四日から一六日までの予定で立花中学校一年生の教育課程内活動として西条少年自然の家利用の合宿訓練が行われた。学校側の引率者は、曽我部孝敏教頭、リーダー菅毅教諭、五組担任松本康男教諭、六組担任水谷陽子教諭、七組担任徳永伸也教諭及び田中晶子講師、生徒数は当初男子六四名、女子五八名計一二二名であったが、途中男子生徒一名が帰宅したので一二一名となった。

(二) 五月一四日午前八時学校に集合、午前九時バス三台に分乗して学校を出発、午前一一時三〇分少年自然の家に到着、入家式を済ませ、午後フィールドワークを実施、その日は宿泊した。

(三) 翌一五日午前八時少年自然の家の校庭に集合、リーダーの菅教諭から全員に一般的な指示がなされ、その後特に鎖の注意として「上りは鎖をくり、下りは迂回路を通る。」「手袋は脱ぎ、足を環にかけ、手でよく握り、下を見ない。」「不安な者は迂回路を通る。」、頂上での注意として「汗をかいたら下着を替える。」「天狗岳へは絶対行かない。」とした上、最後に「崖に近寄らず、下をのぞき込まない。」との注意がなされた。

(四) 午前八時三〇分ロープウェイ乗り場に到着、ロープウェイに分乗して午前九時二〇分成就社に到着、同所に残留生徒四名、指導のため田中講師の五名が残留し、午前九時三〇分教師五名、生徒一一七名が成就社を出発、登山を開始した。登山は順調に進み、一の鎖、二の鎖、三の鎖を登った者三二名、迂回路を登った者八五名で、先頭は、午前一一時五〇分山頂に到着し、到着順に昼食をとり始めた。曽我部教頭の引率する迂回路登山者の最後尾が到着したのは午後〇時五分ころであり、途中無風、晴の天候も山頂到着時には南風が強く、霧が濃くなってきたので、曽我部教頭と菅教諭が協議の上、昼食を中止して直ちに迂回路から全員下山することにした。当時、山頂付近には昼食の後始末をしていた者が約二〇名おり、松本教諭、徳永教諭がこれらを引率、監督することとなり、曽我部教頭、菅教諭の引率する本隊は、午後〇時一五分ころ下山を開始した。

(五) 午後〇時二〇分ころ、山頂グループのうちの檜垣慈幸の帽子が風に飛ばされ、崖下約四ないし五メートルの山腹に落ちた。そこで、一同が「帽子が落ちた。」と騒ぎ、これを取りに行こうとする様子が見えたので、少し離れたところ(一〇メートル以内)に居た徳永教諭が、大声で「そんな物はいらん。」「いかんぞ、ほっとけ。」「絶対に行くなよ。」と再三にわたりその場に居た全員に禁止した。

(六) ところが、その数分後、原告も帽子が落ちたと言い出し、前記(三)の一般的な禁止及び前記(五)の具体的な禁止を無視して、帽子を取りに崖を下りて行き、足を滑らせて転落した。

2 以上の次第で、本件事故は、原告が学校側の再三の禁止を無視して自分勝手な判断のもとに崖を下りたために発生したものであり、このような原告の行動を予測し、かつ、直接的、物理的に制止しなければならないまでの安全配慮義務はないのであり、学校側及び引率教員に何らの過失はなく、被告が賠償の責に任ずべきいわれはない。

三  被告の主張に対する認否

1  被告の主張1について

(一) (一)ないし(三)の事実は認める。

(二) (四)のうち、ロープウェイに分乗して成就社に到着し、午前九時三〇分ころ成就社を出発して登山を開始したことは認めるが、被告主張の山頂到着時刻と登山途中の天候は否認し、その余の事実は知らない。

(三) (五)のうち、檜垣慈幸の帽子が風に飛ばされ、崖下に落ちたことは認めるが、その余の事実は否認する。

(四) (六)のうち、原告も帽子が落ちたと言ったこと、原告が帽子を取りに崖を下りて行き、足を滑らせて転落したことは認めるが、その余の事実は否認する。

2  被告の主張2は争う。

第三証拠《省略》

理由

一  当事者

原告(昭和四九年三月一九日生)が昭和六一年五月当時今治市立立花中学校一年五組の生徒であった者であり、被告が右中学校を設置した地方公共団体であることは当事者間に争いがない。

二  本件事故の発生

1  請求原因2(一)の事実、同(二)の事実(ただし、バスに乗車したこと及び山頂に到着した時刻は除く。)、原告が他の生徒らとともに山頂で弁当を食べたこと、生徒の檜垣慈幸の帽子が風に飛ばされ、崖下に落ちたが、徳永教諭は、そのとき「取るな。」と指示したこと、その後、原告も帽子が落ちたと言ったこと、原告が帽子を取りに崖を下りて行き、足を滑べらせて転落し、受傷したこと(ただし、傷害の程度は除く。)、被告の主張1(一)ないし(三)の事実、以上の事実は当事者間に争いがない。

2  右争いがない事実と、《証拠省略》を総合すると、次の事実が認められ(る。)《証拠判断省略》

(一)  立花中学校では、一年生の教育課程内活動として昭和六一年五月一四日から一六日までの予定で少年自然の家を利用する合宿訓練が行われた。同月一四日午前九時ころ、面河班(一年一ないし四組の生徒)、西条班(同五ないし七組の生徒)及び大洲班(同八ないし一〇組の生徒)の三班に分かれて、同校を出発し、その夜は各班ともそれぞれ目的地の少年の家に宿泊した。原告は、西条班に属しており、西条班は、午前一一時三〇分ころ西条少年自然の家に到着し、入家式を済ませ、午後フィールドワークを実施し、同日の夜はそこで宿泊した。西条班の引率者は、曽我部教頭、リーダー菅教諭、五組担任松本教諭、六組担任水谷教諭、七組担任徳永教諭及び田中講師の六名であり、生徒数は当初男子六四名、女子五八名の計一二二名であったが、途中男子生徒一名が帰宅したため一二一名となった。

(二)  西条班は、翌一五日午前八時ころ、少年自然の家の校庭に集合し、同所において、菅教諭から生徒全員に対し、一般的な指示がされた後、鎖についての注意があり、さらに頂上での注意事項として、崖に近寄らず、下をのぞき込まないことなどの指示があった。その後、石鎚山(標高一九八二メートル)の登山を行うため少年自然の家を出発し、ロープウェイを経由して石鎚山成就社まで歩き、午前九時二〇分ころ成就社に到着した。成就社で小休止をとった後の午前九時三〇分ころ、そこに残留する生徒四名と田中講師を除く生徒一一七名と引率者五名が再び歩き始め、途中、鎖を伝って上るグループと迂回路を通って行くグループに分かれ、前者のグループは一の鎖、二の鎖、三の鎖の順に鎖を使って登り、後者は迂回路により石鎚山山頂に到達した。先頭の者は、午後〇時ころ山頂に到着した。山頂の状況は、、概ね別紙山頂見取図(以下「図面」という。)のとおりである。生徒らは、予定に従い、到着順に山頂で食事をとり始めた。徳永教諭は、午後〇時過ぎころ山頂に到着し、、図面の「徳永教諭」と記載された辺りで食事をとった。松本教諭は、徳永教諭が頂上に到着してから、五分くらい後に頂上に到着し、図面の「松本教諭」と記載された辺りで食事をとった。原告は、鎖を使って山頂に登り、図面の「原告ら」と記載された辺りで友人の山内武人、村上卓、増田秀和及び檜垣慈幸と弁当を食べた。

(三)  西条班が登山を開始し、鎖にさしかかるまでは天候はさほど悪くなかったが、山頂に到着した午後〇時ころには南風が強く、霧が出ていたため、曽我部教頭と菅教諭は、生徒らに対し、食事中の者及び食事のあとかたづけの終わっていない者以外は迂回路を通って下山し、鎖の下で食事をするよう指示した。生徒らは、この指示に従い、順次下山し、引率者の中で松本教諭と徳永教諭は、残りの生徒らを監督するため頂上に残った。原告は、食事後、図面の「岩場②」と記載された付近で前記の友人らと鬼ごっこをして遊んでいたところ、午後〇時二〇分ころ、檜垣慈幸の帽子が風に飛ばされ、図面の「転落場所(×印)」と記載されたところから崖下に落ちた。そのため、原告と友人らは、口々に「檜垣君の帽子が落ちた。」と叫んだ。徳永教諭は、そのとき前記の場所で食事をしていたが、図面の「望遠鏡」と記載された辺りからその声が聞こえて来たので、立ち上がって、望遠鏡の向こうにいる原告やその友人らに向かって「取るな。」と指示した。そのときの徳永教諭と原告ら生徒との距離は、一五メートルくらいであった。檜垣慈幸は、徳永教諭の指示が聞こえたので、帽子を取るのを諦め、そのまま同じ岩場で原告らと遊びを続けた。その約五分後、今度は原告が被っていた帽子が風に吹き飛ばされて図面の「転落場所(×印)」と記載されたところから約三メートル下の岩の上に落ちた。そこは、幅が約一メートル、長さが約一・五メートルで、棚のようになっており、崖上からそこまでは六〇度くらいの傾斜で、小さな灌木が生えており、その下は絶壁であった。しかし、当時は、霧のため山頂からはその下が絶壁であるという状況は窺えなかった。原告と友人らは、前と同じように「帽子が飛んだ。」と叫んだ。そのころ、山頂には二〇人程度の生徒が残っていた。山内武人は、原告の帽子の落ちた場所を上から見て確認したところ、すぐに取れそうに見えたので、図面の「松本教諭」と記載された辺りにいた松本教諭のところに行き、「甲野君の帽子が飛んだ。取ってもいいですか。」と尋ねたが、同教諭は、「取ったらいかん。」と答えた。しかし、原告が、帽子の落ちている場所を確認したところ、霧が出ていたためその下が絶壁であることに気付かず、簡単に取れそうに思い、同教諭に対し、「すぐ取れるんじゃ。」と言うと、同教諭は、図面の望遠鏡の付近まで来て「危ないけん、あんまり滑るようなところは行くな。木とか草とか握って滑らないようにして行け。」と言った。そこで、原告は、友人らが見守る中、図面の「転落場所(×印)」と記載されたところから崖を下り始めた。そのときには、松本教諭及び徳永教諭は、その場には来なかった。原告は、二、三歩くらい下りたところで足を滑らせ、木の枝に捕まったが、それも折れてまた滑り、絶壁を転がり落ちて山頂から八〇メートルくらい下のところまで転落し、脳挫傷(両前頭葉、右頭頂葉)、右頭頂骨陥没骨折、右膝蓋骨剥離骨折、左第三指中手骨骨折、顔面・左膝部・右外顆部挫創等の傷害を負った。当時、原告が下りた場所の地面は、少し凍結した状態であった。

(四)  徳永教諭は、それまで石槌山には三回登山した経験があり、原告が転落した崖が前記のような状況で非常に危険な場所であることを知っていた。一方、松本教諭は、石鎚山に登ったのはそのときが初めてであり、転落した原告を救助するため、自ら崖を下り、誤って転落して死亡した。

三  責任原因

右事実によると、原告が帽子を取るためにおりた崖は、転落の危険性の大きい場所であったのであるから、引率者のひとりである松本教諭としては、原告が帽子を取ることの許可を求めたことに対しては、これをやめるよう指示すべきであったのであり、石鎚山登山の経験がないため、その崖の状況について自ら判断することができないのであれば、登山経験のある徳永教諭に意見を求めるなどして崖の状況を確認すべきであったもので、そうすれば、原告が下りたところが非常に危険な場所であることを認識することができ、したがって、原告が下りることを禁止して本件事故の発生を防止することができたはずである。しかるに、松本教諭は、原告が崖を下りることを一旦はやめるよう指示したものの、原告が簡単に取れそうである旨言ったことから、その場所の危険性についての判断を誤り、結局これを許可したものであり、この点において、同教諭には過失があるといわなければならない。

ところで、国家賠償法一条一項の公権力の行使には公立学校の教師の教育活動も含まれると解するのが相当であるから、被告は、立花中学校の設置者として同中学の学校行事の引率者である松本教諭の右過失による行為について同項による賠償責任を負うといわなければならない。

なお、原告は、徳永教諭にも過失があると主張しているが、本件全証拠を検討しても、同教諭が、当時、原告の帽子が落ちたことや原告が崖を下りることを知ったことも、松本教諭から頂上の状況について説明を求められたことも認められないのであり、原告が本件事故当時中学一年生(一二歳)であったことをも併せ考えると、原告主張のように、徳永教諭において、松本教諭に対し、頂上の状況について自発的に説明してその危険性を認識させたり、絶えず生徒の挙動を監視する義務があったとすることはできない。その他本件において、徳永教諭に過失があったことを認めるに足りる証拠はない。

被告は、本件事故について何ら賠償責任を負わないと主張しており、その根拠として原告が引率教諭の再三にわたる注意を無視して行動したことを挙げている。確かに、菅教諭が西条少年自然の家で一般的な注意をし、さらに、徳永教諭及び松本教諭も前記の禁止の指示をしたことは事実であるが、松本教諭が最終的には原告に許可を与えたのであるから、被告の主張は、この点で事実に副わないものであって、採用することができない。また、その許可に従った原告に過失相殺すべきほどの落ち度があったとすることもできない。

四  損害

そこで、損害額について判断を進める。

1  治療関係費 一三七万八八〇五円

(一)  入院治療費 四三万八五七〇円

原告が、本件事故のため、公立周桑病院に入院したこと、その治療費(社会保険負担分を除いた本人負担分。後記(二)の各治療費も同じ。)が四三万八五七〇円であることは当事者間に争いがなく、《証拠省略》によると、その入院期間は、昭和六一年五月一五日から同年八月五日までの八三日間であることが認められ、この認定に反する証拠はない。

(二)  通院治療費 六万〇三二五円

(1) まなべ病院 三二八〇円

本件事故による原告の同病院での治療費が三二八〇円であることは当事者間に争いがなく、《証拠省略》によると、原告が本件事故当日である昭和六一年五月一五日同病院で応急処置を受けたことが認められ、この認定に反する証拠はない。

(2) 公立周桑病院 三万五六九〇円

本件事故による原告の同病院での治療費が三万五六九〇円であることは当事者間に争いがなく、《証拠省略》によると、原告は、昭和六一年八月から昭和六三年一一月まで同病院に三四回通院して本件事故による傷害の治療を受けたことが認められ、この認定に反する証拠はない。

(3) 村瀬歯科医院 二万一三五五円

本件事故による原告の同病院での治療費が二万一三五五円であることは当事者間に争いがなく、《証拠省略》によると、原告は、昭和六一年八月から昭和六三年八月まで同病院に一二回通院して本件事故による傷害(上の前歯二本の欠損)の治療を受けたことが認められ、この認定に反する証拠はない。

(三)  入院雑費 九万九六〇〇円

前記の原告入院期間(八三日間)中の雑費としては、原告主張のとおり一日当たり一二〇〇円が相当であるから、入院雑費は九万九六〇〇円となる。

(計算式)1,200円×83×99,600円

(四)  通院交通費 五万八三一〇円

(1) まなべ病院 三七五〇円

《証拠省略》によると、原告の両親が、本件事故発生当日、原告が運ばれた愛媛県西条市氷見丙四七七番地所在のまなべ病院にタクシーで駆けつけ、その料金として三七五〇円を出捐したことが認められる。これは、本件事故と相当因果関係がある損害と認められる。

(2) 公立周桑病院 四万九七六〇円

前記のとおり、原告は、昭和六一年八月から昭和六三年一一月まで同病院に三四回通院したものであるところ、《証拠省略》によると、原告は、父又は母の付添いを受け、その運転による自家用車で愛媛県東予市壬生川一三一番地所在の公立周桑病院まで送迎されたこと、この通院にバスを利用するとすれば、昭和六三年八月末まで片道七三〇円(乗車区間今治桟橋から壬生川駅まで・利用回数三二回)、同年九月から片道七六〇円(乗車区間前同・利用回数二回)を要することが認められる。したがって、原告の同病院通院のための交通費は四万九七六〇円と認める。

(計算式)(730円×2×32)+(760円×2×2)=49,760円

(3) 村瀬歯科医院 四八〇〇円

前記のとおり、原告は、昭和六一年八月から昭和六三年八月まで同病院に一二回通院したものであるところ、《証拠省略》によると、原告は、父又は母の付添いを受け、その運転による自家用車で今治市郷本町三丁目二番一〇号所在の同病院まで送迎されたこと、この通院にバスを利用するとすれば、片道二〇〇円(乗車区間今治桟橋から八町まで)を要することが認められ、したがって、原告の同病院通院のための交通費は四八〇〇円と認める。

(計算式)200円×2×12=4,800円

(五)  入院中の付添看護費 六三万円

《証拠省略》によると、原告は、公立周桑病院に入院したときから一五、六日間は意識がなく、暴れるので手足を縛り付けられる状態であったこと、原告は、昭和六一年六月初めころ、意識を回復したが、同年七月初旬ころまで指南力障害があり、母の甲野花子が誰であるか分からず、また、自分の名前も分からず、排泄も自分で制御できない状況であったこと、原告は、同年六月一一日、脳陥没骨折整復手術を受けたが、同年七月一〇日までは二四時間態勢で付添看護する必要があったこと、そのため、入院から同日までは原告の母と祖母(乙野春子)の両名が付添看護し、同月一一日から退院までは母又は祖母が一人で付添看護したこと、以上の事実が認められ、この認定を覆すに足りる証拠はない。これらの事実にかんがみると、一日当たりの付添看護費用(一人分)は四五〇〇円が相当であり、また、昭和六一年七月一〇日まで二人付き添う必要があったと認められるので、同年五月一五日から同年七月一〇日まで(五七日間)の付添看護費(二人分)と同月一一日から同年八月五日まで(二六日間)の付添看護費(一人分)の合計は六三万円となる。

(計算式)(4,500円×2×57)+(4,500円×26)=630,000円

(六)  通院中の付添看護費 九万二〇〇〇円

原告は、公立周桑病院退院後、父又は母の付添い、自家用車運転により同病院に三四回、村瀬歯科医院に一二回、計四六回通院したものであるところ、《証拠省略》によると、原告は、いつてんかん症状が発症するか不明の状態であり、立ち上がった際にふらついたり、転んだりすることもあることから、父又は母が通院に付添ったことが認められるのであり、その通院付添費は、一人一日当たり二〇〇〇円が相当であるから、四六回分で九万二〇〇〇円を損害と認める。

(計算式)2,000円×46=92,000円

2  慰謝料 三五〇万円

前記のとおり、原告は、本件事故による受傷のため八三日間の入院と、約二八か月間の通院を余儀なくされたのであり、《証拠省略》によると、本件事故により、原告には前記の症状が認められるほか、脳波に異常があり、本件事故前に比べて無気力、不活発になったこと、てんかん症状の発症予防のために抗てんかん薬の内服を続けていること、本件事故により欠損した上の前歯二本の代わりに義歯を入れているが、その義歯二本が抜けないよう支えるために義歯の左右各二本(計四本)の歯の上に処置を施していることが認められ、この認定に反する証拠はない。

これらの事情その他本件に顕れた諸般の事情を考慮すると、本件の慰謝料(脳の傷害による後遺障害慰謝料は除く。)としては、三五〇万円が相当である。

3  損害の填補 八五万四二七一円

原告が社会保険から高額療養費として一三万九六二四円の給付を、日本体育・学校健康センターから医療費(雑費を含む。)として三八万四六四七円の給付を、同センターから歯の障害見舞金として三三万円の給付をそれぞれ受けたことは当事者間に争いがなく、前二者を前記1の損害額から、後者を前記2の損害額からそれぞれ差し引くと、損害額合計は、四〇二万四五三四円となる。

4  弁護士費用の損害 五〇万円

原告が、本件訴訟の提起、追行を原告訴訟代理人弁護士に委任したことは当裁判所に顕著であるところ、本件事案の内容、性質、認容額等を考慮すると、五〇万円が本件事故と相当因果関係がある弁護士費用の損害と認める。

五  結論

以上の次第で、原告の本件請求(主位的請求)は、損害賠償金四五二万四五三四円と、弁護士費用の損害五〇万円を除いた内金四〇二万四五三四円に対する本件事故発生日(不法行為日)である昭和六一年五月一五日から支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるから認容し、その余は理由がないから棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条、九二条を、仮執行の宣言について同法一九六条をそれぞれ適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 小佐田潔)

〈以下省略〉

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